HOME

元気な起業家紹介
  元気企業紹介(TOP) > 株式会社タイツウ

株式会社 タイツウ


世界市場で高シェア-を誇るプラスチックフィルムコンデンサー専門メーカ


取締役相談役 谷口 正彦氏
●事業内容
フィルムコンデンサー(高圧、中圧、低圧)の製造、販売

■企業名 株式会社 タイツウ
■創 業 1951年(昭和26年)5月
■所在地 〒211-0025 川崎市中原区木月1649
■電 話 044-433-3411      ■F A X 044-433-3417
■代 表 谷口 一成 氏
■資本金 9500万円
■売上高 30億円(H16年3月期)
■従業員 100名(本社20名、工場80名)

  E-mail: info@taitsu.co.jp    URL: http://www.taitsu.co.jp


 戦後半世紀を越え、めざましい発展を遂げたエレクトロニクス機器業界のキーパーツメーカであり、世界トップ企業として成長してきた潟^イツウ。「培ってきた技術が継承され社会に貢献する、それが企業の使命ですよ」と、創業者で現取締役相談役の谷口正彦氏は語る。

● 生い立ちの苦難が創業以来の独特のリスク管理に生きている

 谷口正彦氏は、大正13年1月シベリヤ沿海州スパスカヤで生まれ、東京の中学入学までの少年期を北満州で過ごした。実家は終戦まで満州にあり、終戦前後で父・長兄を亡くし一家離散という苦難を経験している。この経験が「常に取引のリスクを想定した経営、自社のリスクから社員を守る経営」という独特のリスク管理に生かされている。例えば、「自分でつぶれない経営」つまり、社内の危機・課題を早期発見し改善すること。特にトラブル、クレームへの対応を最優先しているのだ。また「他人につぶされない経営」つまり、取引先から波及する危機(連鎖倒産等)を未然に回避する。そのため拡大一方の売上至上主義ではなく、取引先は複数の堅実な優良企業に絞り、そのような企業からは一流の技術に常に接する事ができるというメリットも享受している。また、あってはならない万一の場合でも、一生懸命やってくれた従業員が退職金相当を受け取れるよう、従業員名義で保険や信託に入っているということである。

● 研究開発やグローバル化戦略、時宜を得たリーダーシップで成長

 氏のコンデンサーとの出会いは、太平洋戦争の敗色が見え始めた昭和18年10月、東京無線器材工場(現在・帝国通信工業梶jに入社したことに始まる。翌19年12月には召集を受けるものの1年とたたぬうちに終戦、あわただしい中を復員、復職する。戦火で壊滅した電話回線復旧や農業機械用のコンデンサー大量需要に対する生産体制を整備し、また仲間から推されて労働組合の委員長にも就任した。しかし当時の先鋭な労使対決一方の風潮に失望し、昭和23年には会社へ辞表を提出している。そして帝国通信工業鰍フ元先輩と共に電子部品の買い付け・転売を行ううち、昭和25年の朝鮮動乱の特需に後押しされる形で昭和26年5月、太陽通信工業鰍ニして自ら製造を行うメーカへ転進した。
 創業の黎明期(朝鮮動乱の終結による需要の冷え込み)の苦労で体調を崩した初代社長(先輩)に代わり、昭和32年谷口正彦氏が、代表取締役社長に就任した。以後「日本で最初のポリエチエレンテレフタレートフィルムコンデンサーの量産化」「日本で最初のソリッドタイプ高圧フィルムコンデンサーの開発」「高温保証の小型高圧フィルムコンデンサー開発」等々の研究開発戦略及び、昭和42年の台湾進出を皮切りに、マレーシア、韓国、シンガポール、中国、アメリカ、香港、青島、上海といったグローバル化戦略が、時宜を得たリーダーシップの下で展開されていったのだ。

 その間、昭和62年10月コーポレートアイデンティティー(CI)の一環として、社名を株式会社タイツウと変更している。

● フィルムコンデンサーで礎を築き、高圧向けでオンリーワンとなる

 米軍の背嚢型通信機には紙コンデンサーが使われていた。紙コンデンサーの生産には大がかりな設備が必要であり、手内職でも可能な雲母を使ったマイカコンデンサー(マイカドン)から始めた。しかしマイカドンは天然雲母の歩留まりが悪く、大量生産にも不向きである。このため当時建築素材として輸入されていたポリエステルフィルムを使ったフィルムコンデンサーを開発したが、真空管を使う高電圧の機器には使用できず、お蔵入りであった。
 昭和30年東京通信工業(現ソニー)がトランジスターラジオを発売している。画期的な技術革新により、トランジスタ回路用低電圧フィルムコンデンサーの時代となるが、潟^イツウ(当時太陽通信工業)は先の開発経験から、極めて短期間に製品化・量産化を開始することが出来、業界での地歩を築くことが出来た。「時宜を得た開発というのは難しいが、チャンスを生み出す土台として、開発は常に行っていくべきである」(商工ジャーナル1999・2“我が人生我が事業”谷口正彦氏)という。

 電気・電子製品の進歩・普及に対し、潟^イツウは高中圧フィルムコンデンサーを次々と生み出していった。フィルム素材の選定、吹き付けコーティング、多層フィルム等による中圧フィルムコンデンサー(耐3千V)の開発に続き、中圧コンデンサーを複数組み合わせた高圧・複合フィルムコンデンサー(耐3万V)を昭和48年に発表している。平成3年には“高圧用コンデンサーの製造方法及び装置」の特許を取得しており、現在国内では付加価値の高い高圧フィルムコンデンサーのメーカは潟^イツウのみである。

● 知的所有権だけでは対応できないグローバルコンペティション

 研究開発都市「川崎」に本社・開発部門を置き、低圧の普及製品はアジア、高圧の高付加価値製品は国内の全自動化された工場で生産している。輸出が80〜90%であり、世界シェアはクラスにより60〜100%というトップランナーメーカであるが大きな課題を抱えている。普及製品の価格ダウンが大きく、また高付加価値品も国内と違い知的所有権の統制が十分でない中国品・韓国品が海外で出回り始めているのだ。価格はピーク時の1/3であり、調達・生産・物流の改革で対応している。
 またCRTから液晶/プラズマディスプレイへ、という技術革新への対応も急務でもある。いままで映像と音を組み合わせた技術分野で進んできた。省エネ・省電力の液晶/プラズマの普及で映像分野向けは確実に需要が下降する。今後は自動車用コンデンサーを大きなターゲットと考えているとの事。「そのためには耐高温・耐振動・雑音への対応が鍵であり必ずクリヤーしたい」と谷口相談役は新たな意気込みを見せる。来年創業55周年を迎える潟^イツウは新たな飛躍を迎えようとしている。

  戻る

Copyright 2005 Institute of Industrial Promotion-Kawasaki.All rights reserved.