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元気な起業家紹介
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■  アイ電子株式会社


化合物半導体を使った通信機器では他の追随を許さない電子職人の集団


社長 伊東 正展氏
●事業内容
移動体通信用各種RFモジュール開発製造販売、マイクロ波帯MIC、増幅器の開発製造販売、各種通信機器の開発製造販売

■企業名 アイ電子株式会社
■創 業 1995年3月
■所在地 〒215-0033 川崎市麻生区栗木2-6-5
■電 話 044-981-3866      ■F A X 044-981-3868
■代 表 伊東 正展 氏
■資本金 6000万円
■売上高 3億円/年
■従業員 20名

E-mail: itoh@ai-elec.co.jp  URL: http://www.ai-elec.co.jp


 「独創的な技術やアイデアでハイリスク、ハイリターンを目指すのがハイテクベンチャーであるならば、私どもは“知的な財産”を武器として受託技術開発や新製品を事業の中心とし、仕事自身に意義を見出し技術者としての“やりがいや生きがい”をも追究していく“知的中小企業”ですよ。」とアイ電子且ミ長 伊東正展氏は語る。

● 新たな挑戦と事業化を追究し、化合物半導体工場を育て上げた

 氏は1961年大学卒業と同時に富士通信機製造梶i現富士通梶jへ入社し、マイクロ波用フェライトの研究に従事した。しかし富士通にはフェライトの工場は無く、用途開発や事業化によって研究成果を世に問う場(機会)が無かった。「これでいいのか」と悩んでいた時期に、富士通がIC事業の強化拡大のため社内エンジニヤ募集があった。これに応募した氏はマイクロ波の技術を買われ、周波数の高いマイクロ波用トランジスタの開発を経て、主力のシリコン半導体ではなくシリコンにはない特性(高速信号処理性、受発光機能、耐放射線・耐熱性、磁気に敏感等々)を持つが、生産技術に難(加工が困難なため歩留が良くない等)があった化合物半導体の事業化にチャレンジすることになった。これがその後の起業(知的中小企業)のきっかけになっている。
 市場が殆どゼロであった化合物半導体に取り組み、携帯電話等の高速通信用GaAsFET、光通信に使用されるレーザーダイオード等々、化合物半導体をトータルに事業化する事に成功した。1984年に富士通の子会社として富士通カンタムデバイス梶i現:ユーディナデバイス梶jを立ち上げ、初代代表取締役に就任し、その後約10年で世界最大級の化合物半導体工場へと育て上げた。

● 中堅企業の代表取締役からベンチャーへ転進

 子会社の経営も軌道に乗りつつあった1993年の暮れ、富士通鰍フ“社内ベンチャー制度”創設検討が報じられた。
 当時、主力のGaAsFET(ガリューム砒素電界効果トランジスター)の事業化のため、米国中を飛び回る日々であった。訪問する殆どの社長が自らチーフエンジニヤとして数人から数十人の技術者の先頭に立ち、製品開発に携わっているというハイテク中小企業のプレーイングマネージャーであった。これに感銘を受けていた伊東社長は「ニッチ事業を立ち上げることの素晴らしさ」「技術者としてのやりがい」をもとめ、強力なパートナー(当時の富士通渇サ合物半導体事業部の部長:新井陽一氏(現当社専務))と共に、中堅企業の代表取締役からベンチャー(知的中小企業)へ転進することとなった。1995年の春の事である。
 大企業系ベンチャーではあるが、資本金51%を経営陣で所有し、売上も国内の通信機関連メーカとは殆ど取引があり、全くの独立自主経営の企業である。

● 匠の技が冴える無線通信機器の世界へ

 当社は「エレクトロニクスの職人集団」であり、自主製品は移動体通信用各種RFモジュールやMIC、高出力増幅器等々のハードの開発・製造・販売である。客先要望・仕様に応じて開発するカスタム製品の割合が多い。
 通信の世界は「デジタル3年、アナログ5年、無線は15年」と言われ、装置の特性を競うのは技術知識に加えて長い経験ノウハウという職人芸が重要な分野であるとのこと。現在は富士通で長年培ってきたベテランの世界的な無線技術者や、半導体技術者3人の下に若い技術者を配置した「職人集団」を形成し、化合物半導体を使った通信機器の事業展開を行っている。
 競合者の追随を許さぬ職人集団の技術蓄積が大きな財産となっているのだ。

● 祖母の血を引いた職人魂

 伊東社長は1938年長野県諏訪の地で生まれた。「女工哀史(大正14年、細井和喜蔵)」や「ああ野麦峠(昭和43年、山本茂美)」で有名な製糸工場の集積地である。祖父は製糸工場の工場長、祖母は腕の立つ職人「百円工女」(当時は百円あれば家が建つと言われた)であったという。小説や映画では、製糸工場の劣悪な労働環境や苛酷な労働条件等が強調されており、事実祖母も星を見て家を出て、星を見て帰る毎日であったようですが、哀史の本質はそのことではなかったとの事です。「当時は年巧序列ではなくそれこそ能力主義で、腕の良い職人は幾らでも高給を取れる状態であったようです。しかし当時の製糸の作業は、技能の良し悪しに強く依存していたため、この技能に適さない女工さんは悲惨であったのです。現代では、ある分野で適さない場合は別の職を選択できます。若い人たちには安定を目指すサラリーマンより、一生を自分の腕で食っていける技術・技能にチャレンジし、それを身に付けて欲しいと思います」と氏は強調する。

● 経験に基づいたシステム構築力でリーディングカンパニーを
 長年培ってきた高周波回路技術を駆使し、独特の製品を世界へ発信し、世界のリーディングカンパニーを目指していくのが今後の戦略である。「そのための最大課題はベテランから若い人たちへの技術の継承である。現在の“職人集団”方式でのOJTが必ず成果を結ぶものと確信しています。」と、真摯に語る社長の目は将来を見据えているようであった。

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