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株式会社エーイーティー


電磁界解析やマイクロ波設計で世界トップレベルのナンバーワン企業


社長 田辺 英二氏
●事業内容
ハード:マイクロ波・ミリ波応用装置、誘電率測定装置、プラズマ装
置、高電圧装置、放射線、電子銃等々
ソフト:マルチドメイン電磁界解析、プラズマ解析、荷電粒子解析、回路設計等々
サービス:解析・設計・試作・測定、教育・コンサルティングサービス

■企業名 株式会社エーイーティー
■創 業 1986年 AET Associates Inc  1988年 潟Gーイーティー
■所在地 〒215-0033 川崎市麻生区栗木2-7-6
■電 話 044-980-0505      ■F A X 044-980-1515
■代 表 田辺 英二 氏
■資本金 3000万円
■売上高 約10億/年
■従業員 34名

E-mail: info@aetjapan.com  URL: http://www.aetjapan.com


 自然の残る川崎市北部の黒川マイコンシティーの一角、新装となった3階建て総ガラス張りの社屋2Fの客船を模した階段とフロアーに続く“24時間世界中と会話が出来るミーティングルーム”で、「超低周波の非電離放射線域から、X線やガンマー線などの電離放射線域まで、全ての電磁波域のシームレスなトータルソリューションに対応できる企業は世界的にも少ない。当社はそのトップランナーです」と、社長の田辺英二氏は語る。

● 産学協同で数々の新製品を開発
 自らも大学院の教壇に立つ氏は、1986年シリコンバレーにAETAssociates Incを設立、スタンフォード大学、カリフォルニア大学等と産学協同で研究を進め、1988年川崎市に潟Gーイーティージャパン(2005年潟Gーイーティーと名称変更)を立ち上げてからは、国内の大学とも密接な産学協同開発を続け、数々の新製品を生み出している。最近の成果の一部を紹介しよう。
 川崎市産学協同研究開発プロジェクト助成事業に採択され、東京大学と「非破壊高周波複素誘電率自動測定装置」を開発し2004年より発売をしている。また科学技術振興事業団より助成(独創的研究成果育成事業)を受け、東京工業大学、姫路工業大学と「超小型X線発生装置」を開発し、さらに東京電機大学とは「UWB(アンテナ、テストヘッド)」の開発、広島大学とは「超小型プラズマ装置」を開発し商品化している。
 いずれも社会貢献性の高い製品ばかりで、例えば「超小型X線発生装置」は、ガン患者の身体へカテーテルを介してがん細胞の直近まで送り込み、直接がん細胞へ放射治療を行うというもので、従来の身体外からの照射に比べ格段に身体への影響が少なく、がん細胞を効率良く破壊することが出来ると言うもの。患者のQOL(クオリティオブライフ)の格段の向上が期待できる。

● 専門特化した分社化戦略により事業化のスピードを上げる
 創業は3人でスタートし、現在潟Gーイーティーと関連会社で30数名の陣容となった。製品の企画開発は潟Gーイーティーグループが行い、製造はアウトソーシング、販売は自社ブランドでというファブレス製造業である。田辺社長は自らを「石橋を叩いてもわたらない性格です」と言う。その意味は、人を見極め、技術を見極め、おおよそ85%以上の理論的見極めが出来れば最終デシジョンは勘で良い、自らの感性を信じる経営哲学である。その経営組織戦略は事業部制ではなく、専門特化した分社化方式で事業化のスピードアップを図っている。現在潟Gーイーティーグループとして本体を含めて5社が存在し、売上は約10億円/年、ハード30%、ソフト60%、プロフェショナルサービス10%で、今後教育を含むノレッジサービスのビジネスにおいて高い伸びが予想されるとのことである。

<潟Aキュセラ(Accuthera)>放射線治療の普及のため、@放射線治療装置の国産化、A先端放射性医療とコンピュータの知識を併せ持つ医学物理士の養成、Bガン放射線治療専門のホスピタルを作る、を事業の骨子として進める。米国スローケタリングがんセンターやテキサス大学MDアンダーソンなどとネットワークを構築している

<AET TECH Corporation>日本で受注したソフトウエアーの開発をフィリッピンで行っている。フィリッピン大学との連携で大学内のビジネスインキュベーションルームを無料で借用しており、当社からは技術教育を提供している。

● 関西で生まれ、シリコンバレーから川崎へ
 田辺英二氏は、1944年大阪で医者(後に大阪府立病院長)の次男として生まれ、終戦後の混乱の時代に関西で少年期を過ごした。子供の頃から何にでも興味を持ち、強い向上心を持っていたようだ。当時、米国の文化的生活や高い技術力等が報道されており、米国への強い憧れを持った氏は、1970年単身で米国へわたり3つの大学で学び、デューク大学院博士課程終了後、米国バリアン社とスタンフォード大学で11年間マイクロ波加速器の研究に従事した後独立している。
 独立するのが当たり前と言う風土のなかでの起業であったが、2つの真の理由があった。当時日本が米国のハイテク技術を移入するに際し、営業マンが本国と連絡をとりながら商談を進めるという大手商社方式には限界があり、技術力を持った即断即決のビジネスが必要と考えたこと。また学生時代に結婚した夫人との間に生まれた3人のお子様を日本人として育て、将来自らの活躍の場は自分で選択させたい、という背景もあり川崎市に日本法人を立ち上げている。

● 夢は病院経営、そしてベンチャーを育てるエンジェルへ
 外科医であった父親をガンで亡くした氏は、QOLの高い病院経営を目指している。特に機器の性能依存度が高い放射線治療には、最先端装置とそれを扱える医学物理士の提供が必須である。また少子高齢化社会での活力の源泉としてハイテクベンチャー創出が必要であり、そのエンジェル役を引き受けたい。そのために2010年を目処としてIPOを考えている。「川崎市はNEC、東芝、富士通等の工場、研究所が集結しており、また北部丘陵地帯は自然環境にも恵まれ立地条件は良い、さらに良い人材を得てぜひこの地で更なる飛躍を遂げ“夢”を実現したい」と語る田辺社長の顔は青年のように輝いていた。

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