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株式会社日の出製作所


難削材・高精度精密機械部品の“ものづくり”にこだわる企業


社長 岩 和志氏
●事業内容
工作機械部品(ボールネジなど)の開発製造販売、ユニット部品の開発製造販売、各種切削部品の開発製造販売

■企業名 株式会社日の出製作所
■創 業 1960年9月
■所在地 〒210-0858 川崎市川崎区大川町11-13
■電 話 044-322-5522      ■F A X 044-322-7255
■代 表 岩 和志 氏
■資本金 4800万円
■売上高 3億円/年(平成17年2月 材料無償支給による加工賃のみが売上となる)
■従業員 35名

E-mail:info@hinode-ss.jp URL:http://www.hinode-ss.jp/index.html

 自動車部品のエンジンバルブで42年、その注文が3年前に切れたが、永年築いた難削材・精密部品加工技術で自動車、半導体、医療機器、アミューズメント機器に使用される高精度精密機械部品の加工へと転換を図る事ができた。苦しい展開も社員とともに、ごまかしのない技術で“ものづくり”を追い続けてきたお陰である。「創業以来45年間リストラをせず、ベテランと若い世代のバランスのとれた金属加工専門集団の会社になってきた」と鞄の出製作所社長 岩和志氏は力強く語った。

● 日ノ出町に原点をみる鞄の出製作所

 氏は自動車用エンジンバルブを作る『日の出製作所』に入社した。ある時、先代創業者から閉鎖しようかと迷っていた会社の再建を引き受けろ、と言われた。発祥の地である日ノ出町の工場は、1階が工場、2階が住まいといういわば「家内工業」であった。急ぎの注文をこなすには夜間残業や日曜も働く必要があったが、近隣には住宅が迫り、騒音等の苦情が殺到していた。そこで残業する日には、“だるま”(ウイスキー)を持って挨拶することから始めなければならなかった。
 その後、注文量も増えてきたこともあり、いよいよ転出の決断をする必要に迫られ、平成元年ついに大川工業団地に移転した。大いなる決断であった。

● 年間売上の2倍の投資であった大川町工業団地への進出が転機

それまで無借金経営を誇ってきた会社が一転、大川町に移ることで年間売上高の2倍の設備投資をし、借金を抱えることになった。発注元である会社からの注文量は増えたが、不安定な1社依存体質のままであった。氏は、“ものづくりはひとづくり”との考えを実践し「エンジンバルブやその他の部品加工の難しい切削加工は日の出製作所」という評判を獲得する事により、徐々に取引先を増やしていった。借金を払い終わると設備は残った。それよりも技術を持った人材の蓄積の方が大きく、困難を乗り越える糧となってきた。岩社長はトップに立って20年、1人として首切りをするようなリストラは実施しなかったのだ。
 創業した昭和35年来の社員として、現在2名が現役で活躍中である。新事業を担当しながら技術を後輩に教えることもしている。最近は平成9年入社の若い取締役を始め若者層が半分、それ以前のベテラン層が半数という人材構成となって着々と将来への体制が築かれている。

● 難局をコア技術で乗り切り、さらに工業団地の発展につくす
 平成元年川崎市日ノ出町からここ大川町へ転出したが、いわゆる1社依存の下請け会社として、エンジンバルブなどの部品を作ることでやってきた。しかし、今から3年前、発注元が仕事を内製化したため、当社に注文がこなくなり仕事がなくなった。会社最大の危機を迎えた。
 それを救ったのは、日ノ出町の旧工場でせっせと難削材の加工技術を生かして10年かけて開発した精密機械部品群であった。それをもって新しい顧客を獲得するという必死な転換を行った。
 その間、氏は1企業の立場を超えて大川町工業団地に進出した18社をまとめ、大川町工業団地事業組合を立ち上げた。建設委員長から理事長まで要職を務め、内部をまとめるのみならず、役所折衝等体外活動にも当たってきた。お陰で当団地は17社がそのまま継続するという優秀な工業団地となった。平成17年12月、理事長を退任するに当たり、神奈川県中小企業団体中央会から社長の貢献に対して「感謝状」を頂いたのはうなずける。

● トンネルの壁の崩壊を防ぐ検査機器など開発も活発化
 当社は「金属加工の専門集団」である。難しい切削は精度を求める検査機器にも応用される。例えば、近年山陽新幹線のトンネル内の壁が崩壊する事故が起きたが、その点検をはしごに乗った人が1つ1つのコンクリート壁をトンカチでたたいて、その反響する音で聞き分けるやり方をしていた。JR総研からの依頼で日本物理探鉱・日立造船と連携し検査機器の開発に当たった。当社はヘッド部分を担当し、切削をした金属とばねを使った試作機を完成した。その検査機器をトンネル内でテストした結果、当社のヘッドは微妙な音の差を出す精巧さがあり、正常な状態か、剥離や破損して崩落の危険がある状態かを調べることに成功し、当社の技術が大きく評価された。今後も新幹線のトンネル部分の検査のみならず、ビルの耐震検査にも応用が可能である。
 同様に、ボールネジ等精密機械部品のかみ合わせによる「ゴリ感」の解消は、従来職人の手に頼っていたが、これを測定する機器を開発した。FA化がさらに一歩進むものと期待される。
 将来展望は、「まず、培ってきた切削加工技術を活かした製品開発であり、次に“ものづくり”をサポートする企業にする。軸は“ものづくり”であり、それを地域のネットワークに結び付けるとシナジー効果が出るものだ。」(岩社長)「他社人材も第2新卒も子育て一段落した女性も当社で研修をし、当地域での“ものづくり”の中核人材としたい」(堀安取締役)と2人は熱い夢を語ってくれた。

● 日本と中国のかけはしづくりは、次の世代のため
 岩社長は1948年石川県輪島市で生まれた。氏の母親は息子が月2回帰ってくれることを期待していたが、能登空港ができてそれが実現した。また、氏は能登空港と瀋陽空港(川崎市と姉妹都市)とのチャーター便の実現にも一役買っている。一方地元川崎のためにも尽力しており、各種団体を率いてたびたび中国へ出張し、また個人的には中国からの留学生を受け入れることも積極的に実施している。その他に、中国茶の日本での普及に力を貸しているのも交流活動の一つである。岩社長は語った「日本と中国とのかけはしづくりは次世代につなぐ仕事であり、すごく大事だ」と。

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