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株式会社ホープ


アミューズメントマシンのトップメーカーへ

●事業内容
遊園施設向けアミューズメントマシンの製造・販売 、遊園施設の運営

■企業名 株式会社ホープ
■創 業 1952年4月
■所在地 :〒215-0033 川崎市麻生区栗木2-6-20
■電 話 044-980-2150      ■F A X 044-980-2149
■代 表 小野 良文 氏
■資本金 5,200万円
■売上高 20億円/年
■従業員 100名
■U R L  http://www.am-hope.co.jp/ 
 


  株式会社ホープは、戦後まもなく軽自動三輪車の名車“ホープスター”を生み出し、日本初の軽四輪駆動自動車「4WDホープスター」を世に出し、一世を風靡した自動車メーカーがルーツ。
 レジャーの大衆化とともに自動車メーカーから遊具機器メーカーへと転進した。
 「子供から大人までファミリーで楽しむアミューズメントマシンづくり」を追求、日本のトップメーカーとして躍進を続けている。

● 軽三輪自動車“ホープスター”の誕生
 同社は、小野定良氏(現社長良文氏の父)が1952年(昭和27年)実兄の自動車販売修理会社から独立し、株式会社ホープ商会を設立したところから歴史が始まった。軍隊時代にも自動車関係に携わり、自動車技術を熟知していたという定良氏が開発したのが、人気軽三輪「ホープスター」である。
 1954年(昭和29年)に社名をホープ自動車(株)に商号変更、東京都港区三田に本社工場に移転し、1956年(昭和31年)2サイクルエンジンを日本で初めて搭載した「2サイクルSU型ホープスター」を発表した。1957年(昭和32年)に、川崎市中原区に新工場を新設、本社工場を移転した。1958年(昭和33年)には、ホープの月産台数は900台を数え、日本全国に「ホープスター」が広まった。

● 新事業分野への模索の時代、日本初の軽四輪駆動車開発へ再チャレンジ
  自動車業界の競争が激化する中で投入した新型軽四輪自動車に、エンジントラブルが発生、定良氏の個人資産を投じて修理する事態となり、ホープスターの生産を中止することとなった。
 そこで、自動車製造技術をコアに各種機械製作など異分野への進出を模索、そこに、1962年(昭和37年)ロードウェイライド(軌条走行乗物)の受注があり、高津区溝口にある百貨店へ納入することとなった。これをきっかけに、バズーカ砲という圧縮空気で白球を的に当てるアトラクションの受注があり、全国の遊園地に納入され、大型遊戯機械分野への進出が本格化した。さらに、百貨店の屋上に直営店の遊園地を開設した。
 同社の技術が示されたのは、1970年(昭和45年)の大阪万国博覧会であった。自動車工業会の依頼を受けて開発したコンピュータ制御の電気自動車のアトラクションは、相互にコンピュータ管理され、電気自動車同士が衝突することなく運転でき好評を博したという。
 異分野進出へ模索しながらも多くの技術者は、自動車への夢は捨ててはいなかった。そこで、定良氏は、農林用の軽四輪ジープの開発に着手した。エンジンは三菱重工自動車事業部(現三菱自動車工業)から供給を受け、エンジンの回転力を前輪、後輪の車軸に伝達するPTO装置を開発し、エンジンの回転力を前輪、後輪の車軸、そしてウィンチなどに使う外部動力用に伝達するPTO装置を開発、1967年(昭和42年)日本初のオフロード軽四輪駆動(4WD)軽自動車を誕生させた。「4WDホープスター」として100台生産された。
 しかし、あまりにも時代を先取りし過ぎたコンセプトは、市場に受け入れられず生産を断念することとなった。製造権を鈴木自動車工業(現スズキ)に譲り渡し、完全に自動車から撤退した。だが、4WDホープスターの技術とコンセプトは、スズキ・ジムニーに今でも受け継がれている。

● アミューズメントマシン分野へ
 1971年(昭和46年)、レジャー事業部を矢野徳蔵氏に託した。
 スカイサイクリング、バズーカ砲、光線銃ゲームライド(乗物)のサハリ、ロウドウエイライド、国産化が初めての回転飛行機など大型遊戯機械を製作してきたが、ここで矢野氏は受注生産が主体の大型遊戯機械から、小型乗物を中心とした自社開発に注力する方向に方針転換した。生産工場を持つメーカーは他にはほとんど無いことから、自社工場を持つ同社にとって、共通マシンからなる木馬やバッテリーカーは大量生産に適し、同社の強みを発揮できると踏んで、小型乗り物に特化していった。
 また、消防法の改正や炎天下で遊ぶことを嫌う傾向から、屋上遊園地から屋内遊園施設へと移り変ってきた。各地でショッピングセンターなどの大型店の立地による地元商店との摩擦が起き、大店法の運用による規制が強化されたことで、売り場にできないスペースが生じ、これが有効活用されて屋内遊園施設設置を促し、ショッピングだけでなく親子連れで安心して遊べることが歓迎され、デパート、スーパーの各店舗に施設が設置された。
  1980年代から大型テーマパークが全国に相次いでオープン、小型乗り物の新製品を投入した。90年代に入ると、工場を持つ同社の強みから、セガ、バンプレスト等の有力メーカーと共同開発や、OEM生産が活発化した。「ディズニー」「きかんしゃトーマス」「アンパンマン」をはじめとするキャラクターのゲームライドを次々と商品化した。
  1999年(平成11年)麻生区黒川のマイコンシティに工場用地を取得、2001年に製造部門を移転した。この年の6月、創業者の定良氏、9月に矢野徳蔵氏が逝去され、小野良文氏が代表取締役として就任した。

● マイコンシティに進出、ファミリー向けアミューズメントマシンに特化
 新体制の下、創立50周年を迎え、ファミリー向けアミューズメントマシン分野に経営資源を集中する方針を打ち立て、マイコンシティに本社工場を移転、ホープ精機などの関連会社をホープと統合、開発体制を強化し、小型のファミリー向けアミューズメントマシン分野に特化、児童向け遊具のシェア80%を誇るトップ企業となった。
 同社は、“ファミリー向け”アミューズメントマシンの開発に一層注力、年2回開催される見本市・アミューズメントマシンショウに毎回新製品を発表、他者の追随を許さないスピードでオリジナル商品を開発しており、子供から大人まで楽しめるレジャーを演出するトップ企業として走り続けている。

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