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株式会社 ブールミッシュ


幸せ感じる美味しいスイーツを安心・安全に提供


社長 吉田 菊次郎 氏
●事業内容
洋菓子製造販売及び飲食店経営

■企業名 株式会社 ブールミッシュ
■創 業 1973年(昭和48年)3月
■所在地 〒210−0012 川崎市川崎区宮前町1−1−2F(営業本部)
     
〒104−0061 東京都中央区銀座1−2−3(本店店舗)

■電 話 044−210−2074(営業本部)
     03−3563−2555(本店店舗)

■代 表 吉田 菊次郎 氏(ヨシダ キクジロウ)
■資本金 4,800万円
■従業員 330名
■U R L  http://www.boulmich.co.jp/ 
 

 スイーツ好きの女性から熱い視線を集めるのは銀座に本店を構えるブールミッシュ。パリの若者が集う大通り“ブールバール・サンミッシェル”のニックネームを社名に拝した当社は、日本における本格的フランス菓子の草分け的存在として知られており、生菓子や焼菓子を製造して日本各地100箇所を超える店舗で販売している。中でも創作焼菓子の「トリュフケーキ」は、世界食品コンテストモンドセレクションにおいて、10年連続で最高金賞もしくは金賞を受賞し続けている、世界も認める折り紙つきの商品である。世界的パティシエ、ベストセラー作家、タレント(テレビ出演)、そして経営者としての顔を持つ吉田菊次郎社長が率いる元気企業を紹介しよう。
● パリで修行し、渋谷で創業、デパ地下で飛躍

 お菓子屋の息子として生まれた吉田菊次郎氏は、幼い頃から両親の傍らでクッキーの生地をこねて遊び、自然にお菓子作りの世界に傾倒していったという。当然のようにパティシエの道を目指すつもりでいた吉田社長だが、家業は徐々に経営不振におちいってしまう。それでもパティシエになる夢を諦めきれない吉田社長は大学卒業後、暫し、他の菓子店で修行するが、さらに腕を磨くべく洋菓子の本場フランスへ行くことを決意。1970年、どうにか片道分の旅費だけを工面して渡仏した。片言のフランス語で門を叩き、ようやく見つけた修行先は、実はパリでも有数の人気菓子店であったことを後で知る。「食べ物を扱う店ですから、“これで飢え死にしないですむ”とほっとしたのを覚えています」と吉田社長は当時を振り返る。しかし安心したのも束の間、屋根裏部屋に住み込みながら平日は朝5時、土日は3時から仕事を始め、夜8時から10時頃まで働き詰めの毎日であった。「日本であれば見て覚えろと言われますが、フランスではレシピを渡され、即戦力として働くことが求められます」。そんな厳しい修行生活の中、吉田菊次郎氏の名前を世に知らしめるきっかけになったのが、1971年にパリで開催された“第1回菓子世界大会”だ。1日の仕事が終わってから寝る間を惜しんで製作に取り組み、6週間かけて完成させた砂糖細工の「姫路城」は世界に名だたるパティシエたちを相手に、みごと銅メダルを受賞した。その後、世界一のあめ細工名人と謳われたエティエンヌ・トロニア氏のもとに入門。さらにチョコレート作りを学ぶためスイスに渡って腕を磨いた吉田社長は、数々のコンクールを総なめにし、僅か3年足らずの間に“カミカゼヨシダ”の異名で呼ばれるまでになる。
 本場パリで認められた自信を胸に1973年に帰国すると、渋谷の貸ビルに1号店を出店した。息子の成功を喜び、まだ日本では信用も実績もない吉田社長のために、父親が資金の工面などに奔走してくれた。「今でこそ公園通りという名前が付いていますが、当時は人通りも少なく、電気工事屋さんからは商売が成功しない条件が揃っていると言われました」と吉田社長は苦笑いする。来店客はほとんど皆無、近隣のレストランや喫茶店からデザート用として日に僅か5〜6個の注文があることすらうれしかったと言う。クリスマスには、勝負をかけて千個用意したケーキの半分が売れ残り、夜の渋谷駅の構内で、酔っ払い客相手にケーキを売りさばいて乗り切ったこともあった。
 ブールミッシュが飛躍するきっかけとなったのが百貨店への出店だ。百貨店の地下1階、通称“デパ地下”は、日本全国に名を知られた名店がしのぎを削る場所。吉田社長のあめ細工を偶然目にした百貨店の担当者からの出店要請を受けてデパ地下に出店したものの、他店と差別化できずに埋もれてしまい、撤退を余儀なくされたという。その後も何度かデパ地下に出店したものの、いずれも失敗に終わった。それまでのデパ地下の主役と言えば彩りが華やかな生菓子。当社も生菓子を前面に押し出した店舗にこだわっていたものの、度重なる撤退の教訓を生かし心機一転、他店に先駆けてギフト需要をターゲットにした日持ちのする焼き菓子に品揃えを絞ったところ、これが当たった。「激戦区でエネルギーを消耗しない方がいい」と社長は笑顔をみせる。現在では日本を代表する菓子ブランドとして全国の百貨店や空港のほか、ブライダル向けやディズニーランドなどへも販路を広げており、川崎市栗木と大阪府枚方の工場で生産体制を整えている。

● 食の安心・安全を追及し“クレーム・ゼロ”を目指す
 当社の課題はお客様からのクレームを限りなくゼロに近づけること。お菓子への異物の混入を防止するため、業界でも指折りの厳しい検査体制を敷き、工場のクリーン化や検査装置導入のための設備投資を惜しまない。例えば、工場入り口のエアーシャワーや足元の塵や埃を吸着するための装置、オーブンから出る煙を吸い込むための装置なども自社用に工夫したものを設置している。作業服にも工夫を凝らし、体毛が抜け落ちて混入するのを断絶している。また、自社内で食品の安全試験を行い、食品・食材の安全を確かめる体制を整備している。「外部機関に試験を依頼していたのでは遅すぎます。自社で素早く試験して絶対に安心・安全なものしか、お客様にはお届けしないという信念で菓子作りをしています」と吉田社長は強調する。健康な食生活に配慮して、アレルギーの子供にも安心して美味しく食べてもらえるもの、例えば小麦粉の代わりに米を使用したお菓子なども作っている。
● 夢は1万坪の敷地に新工場建設と「文学賞」の受賞

 「1万坪の敷地に新工場などを建設して、現在川崎に散在している営業本部、工場、物流センター、研修センターを1箇所に集約したい」と吉田社長は将来構想を語る。全ての機能を1箇所に集めて、業務の効率化やスピードアップを図るのが狙いだ。また、設備の整った研修センターの建設は社員の教育に欠かせない。「“お客様”のことを“消費者”と呼ぶようになってから、お客様第一という商いの精神が廃れてきたように思います。美味しいお菓子を作るだけでなく、心のこもった接客が大切です」と社員教育の重要性を説明する。
 一方、「個人的な夢は文学賞を受賞することです」と社長は目を輝かせる。既に50冊を超える著作があり、現在でも年間3冊のペースで本を書き続けている。「読者から感謝の手紙を頂くと、作家活動を止められなくなります。中には私の本を読んで世をはかなむことを思いとどまった方もいらっしゃいます」。お菓子作りのテキスト、歴史、エッセイ、旅行ガイドブック、洋菓子事典など執筆のジャンルは幅広い。「洋菓子に関する知識や経験を、若い人を含めた多くの人々にお伝えすることが私の使命です」と語る吉田社長は、溝の口駅前に製菓アカデミーも開校した。その情熱とパワーは尽きることを知らない。

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