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株式会社 福嶋鉄工所


鉄を鍛えて140年、工都「川崎」とともに時代を歩む近代鉄工業


社長 福嶋 進 氏
●事業内容
化学工業用機器(反応槽、攪拌槽、濾過槽、プラント設計施工一式)
食品・医療工業用機器(培養槽、醗酵槽、各種サニタリー機器)

上水・下水処理装置(大口径鋼管製作・施行、汚泥乾燥焼却・脱臭装置)他


■企業名 株式会社 福嶋鉄工所
■創 業 1867年(明治元年)11月
■所在地 本社・本社工場 〒210−0807 川崎市川崎区港町10−18
     四日市工場、事業所(東海、川崎、佐賀、鹿島)
■電 話 044−244−5111 ■FAX 044−211−3685
■代 表 福嶋 進 氏(フクシマ ススム)
■資本金 4,500万円
■従業員 約80名
■U R L  http://www.fukutetsu.co.jp/
 

 10トン1台、5トン2台のクレーンを備えた3階吹き抜けの工場をご案内頂いた。クレーンのタイヤはゴム製で、工場は窓を少なくし、振動や騒音を極力外部に漏らさないようにしている。天井を覆うクレーンのレールは上下2段構造になっており、状況に応じて10トン、5トンのクレーンを上手に使い分けできるようになっている。また製品の横持ち(製品を持っての無駄な移動)を少なくするため搬出入口を2箇所設けている。歴史ある鉄工所といっても随所に工夫がされているのだ。3階部分には工場全体を見渡せる回廊が設けてある。「工場見学を通じて、川崎市の産業観光施策にいつでも協力できますよ」と福嶋社長は、地域に調和した工場を前に柔和な顔をほころばす。
● 6代にわたって培ってきた信頼と、受け継がれてきた技術力

 当社は、昨年(2007年)川崎市長にも出席いただき、創立140年記念式典を開催した。その系譜は幕末の動乱期に始まる。初代福嶋与兵衛氏は江戸愛宕山下(東京・港区)で刀剣類・馬具等を手広く扱い、実弟が参加していた彰義隊を援助していた。しかし上野の一戦で彰義隊が壊滅し、辛うじて川崎宿六郷河畔に逃れた福嶋一家は、そこで舟釘・かすがいなどの鍛冶業を始めた。明治元年(1867年)11月のことであった。以来、第2代福嶋亀太郎氏(愛称:鍛冶亀)、第3代福嶋安五郎氏(愛称:鍛冶安)のお客様への誠実さ、仕事・人作りへの厳しさ・真摯な姿勢が今日まで受け継がれている。
 当社の発展史では、工都「川崎」へ大正3年(1914年)に進出した“鈴木商店”(現、味の素株式会社)に腕を買われ、機械の修理などの火造り仕事を一手に引き受けたのが転機となっている。壊滅的打撃を受けた大正12年(1923年)の関東大震災や、昭和20年(1945年)の川崎大空襲の時にも、福嶋家が昼夜を分かたず、客先工場の機械を修理し復興を早めたという。以来、昭和36年(1961年)味の素佐賀工場内に出張所を設け、昭和39年(1964年)味の素四日市工場に隣接して工場を進出させるなど、お客様と一体になった経営を続けてきた。
 鍛冶安さんの他界(1937年)後、あとを継いだ第4代福嶋治郎吉氏は、昭和12年(1937年)に株式会社へ組織変更し、兄弟4人(三郎、竹松、正夫、中村正助)と共に鍛冶屋から近代的な鉄工業として大きく飛躍していく。第2次世界大戦終結後まもなく、水道用大口径溶接鋼管の製造・施工を開始すると共に、圧力容器で地位を築いていった。高松宮殿下が中小工業振興のため、模範的中小企業である当社に御台臨なされたのが昭和26年(1951年)のことである。
 創立120年(1988年)に第5代を継いだ福嶋安行氏(現、会長)は入社以来、治郎吉社長と役員を補佐し、化学反応槽や熱交換器、原子力発電所の大型貯槽などを数多く納め、最近ではバイオケミカルの大型醗酵槽でも実績を積み重ねている。

● 初の事務系社長が誕生し、新分野への進出に挑戦中である

現社長の第6代福嶋 進氏は、第4代治郎吉社長を支えた弟の竹松氏を父に昭和22年(1947年)に生まれた。当社の役員であった竹松氏が早世(1965年、享年50歳)したこともあり、当時はまだ学生であった進氏は一時期福嶋鉄工所とは無縁な世界を歩んでいる。慶応大学商学部在籍中に、IT時代を見越して「電子計算機の専門学校」の夜学に通い、大学卒業と同時に日本軽金属鰍ヨ入社し、電算課へ配属となった。製品(アルミサッシ)の需要予測から仕込み手配・生産・出荷・物流システムまでも手掛け、特に在庫管理では苦労し、実効を挙げたとのことである。昭和51年(1976年)、第一次・二次のオイルショック大不況のころ、乞われて福嶋鉄工所に入社し、改善・合理化に着手した。根からの技術屋集団である当社に、システムエンジニアの経験を生かして思い切ったメスを入れ、経営の建て直しに大いに貢献した。また平成14年(2002年)社長就任と相前後して、川崎市や慶応大学等が進めた“ファクトリアプロジェクト”(都市型工業地域の新しいスタイルを摸索)のモデルケースとして、当社の老朽化した工場の再構築を行い、周辺地域と調和した新工場を完成させている。
 新工場では明日を担う省エネ・無公害のノンフロン空気冷凍機の組み立てが行われている。当冷凍機は、空気の圧縮と膨張を繰り返し、熱交換を行うことにより−30℃を超える低温空気を作り出す装置で、オゾン層破壊や温暖化を促進するフロンガスを使用しないものとして、大きな期待が寄せられている。開発グループの一員として当社が製作を担うこの空気冷凍機は試作も最終段階を終えており、近々に商品として市場に出回る予定である。

● 歴史ある同族経営から、近代的な資本と経営の分離時代へ

 社長は「これから事業承継者を育てることが、私の大きな課題の一つです」と言う。同族にこだわらず、広く人材を求めていきたいとのこと。
 過去に最大150人の陣容を抱えていたが、バブル崩壊の影響が続き、4〜5年前には売上と同額程度の借入金を抱えるまでになった。今は合理化を重ねて財務状態も回復したが、社員は80人弱と半減した。その間に給与も30〜40%ダウンした時期もあり、多くのベテラン社員が去っていった。
 「幸い、コア-技術をもつ中心技術者の確保は出来ているので、残った精鋭部隊を磨き上げ、優秀な管理者、経営者として育てていきたいと思います」と、にこやかな社長の顔に一瞬厳しさ、真剣さがよぎった。社員にはしっかり足を地に付けて実績を積み重ねていって欲しいと願い、@小さなものを見よ! A半歩先を見よ! B自分でやれ! を常に奨励している。仲間同士で切磋琢磨する気運も生まれてきた。社員の自主的な研鑚にこたえるため、会社業務に関連ある資格取得者には資格内容・資格級ごとにポイントを設定し、給与に反映させている。
 初代与兵衛氏から始まり、歴代の社長はみな職人気質で、厳しさの中にも優しさを持った義理と人情に厚い人物であったという。逞しくもおおらかな鍛冶屋の伝統が脈々と受け継がれていることを感じた。

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