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会社名株式会社 三矢研究所


警備機器の技術力を注いだラジコンカー「スケールスポーツ」



社長 古澤 利夫 氏
事業内容事業内容
電子機器、防犯機器の研究・開発
          

  • 企業名 株式会社 三矢研究所
  • 創 業  1970年(昭和45年)11月
  • 所在地 〒215-0021 川崎市麻生区上麻生6-31-18
  • 電 話  044-988-2088
  • FAX   044-987-5938
  • 代 表  古澤 利夫 氏(フルサワ トシオ)
  • 資本金 5,280万円
  • 従業員 14名
  • URL  http://www.mitsuya-lab.co.jp/

柿生駅近くの住宅街の一角に、5分の1スケールのリアルなラジコンカー「スケールスポーツ」が並ぶ株式会社 F.プランニングのオフィスがある。実はこの会社、セキュリティ機器などの電子機器開発を行なう株式会社 三矢研究所の子会社である。一見するとラジコンという趣味の世界と、電子機器という仕事の世界に極端に分かれるようだが、代表取締役の古澤 利夫氏はこの2つの事業経営のハンドルを巧みに操っている。

● 少数精鋭と壊れない製品で警備機器の黎明期を支えてきた

且O矢研究所は、1966年に古澤社長の父である一浩氏により創立された。開業当初はカーオーディオなど音声機器の開発・設計・製造を主業務としていたが、数年後に音声警報装置の仕事を依頼されたことから警備・防犯などのセキュリティ向けの電子機器開発へ事業の軸足を移す。ちょうど警備会社が進めていた機械化の波に乗る形で、初代のホームセキュリティ装置の6万台を受注するなど会社は順調に成長した。少数精鋭主義を貫きながらも、同社で手掛けたセキュリティ機器は3000種類を超えている。

同社の強みは、装置の基本設計〜開発〜製作までを一貫してできる体制を支える“一人で何役もできる”エンジニアたちにある。先代からの方針もあり、古澤氏は「エンジニアには好きにやらせている」と言うが、エンジニアの顔色から察知して悩んでいそうな人にはタイミングを取り、話しかけて相談に乗るという細やかなコミュニケーションを取っている。「壁にぶつかると悩むのは誰も同じ、上司も部下もない。ワンポイントをアドバイスすれば解決することは沢山ある。縁あって一緒に働いてくれるのだから、何とかしてあげたい」という考えがあり、一つの仕事を成し遂げるまで温かく見守っている。なかには電気設計を未経験で入社しながらも7年経った現在では3次元CADを駆使し開発案件のリーダーとして活躍しているエンジニアもいる。同社の考え方に“使い捨て” は無い。それは製品開発においても同じで、“何十年経っても壊れない製品を” という信念を持ち日々努力と研鑽を重ねている。

● こだわって立ち上げた新しいカテゴリーのラジコン


1956年生まれの古澤氏は、大学卒業直後から「父に半ば無理やり勧められて」三矢研究所に入社する。入社直後はカーオーディオ事業などを担当していたが、警備機器事業が立ち上がってからは会社の成長と共に忙しく動き回ってきた。創業から30年が過ぎ、会社の基盤も盤石となっていた1998年に転機は訪れる。父が病気で他界し、その後を受けて古澤氏は三矢研究所の社長に就任した。すると、会社の中に危機感が少なくなっていることに改めて気付いた。「いつかは自社ブランドを持たなくてはならない」古澤氏は決心した。社名には、電子機器開発以外のことも将来的に挑戦できるようにとの先代の意思から“研究所”がついている。「これまで我が社は固い商売をしてきた。今までと異なった新事業に挑戦したい」と考えた。
どちらかといえば仕事一筋の父に対して、古澤氏は小さいころから車やラジコンなどを愛好する趣味人で、少年時代にはスロットカー(コースの路面に刻まれた溝から給電して走行する自動車模型)の日本チャンピオン、青年時代はレーシングカートを駆ることに夢中になっていた。試行的に子会社のF.プランニング(当時は警備用鍵の製造販売会社)でラジコン模型用の工具を発売してみたところヒットする。「今度は、自社ブランドの模型を開発しよう」と、古澤氏は、2002年頃から従来のラジコンカーより実車に近い独自のカテゴリー「スケールスポーツ」を確立して世の中に出すことを構想しはじめる。
現在のラジコン業界は、1車種の商品ライフサイクルが半年と短くなっている。スケールスポーツでは長く使えるラジコンカーを目指し、ゴムや金属などの耐久性が必要な材料は良いものを求めて世界中を探し回った。特にポイントであるタイヤは、6時間耐久レースを走りきれるものを作るため、構造やゴムの性質から研究し、特許取得した。警備機器で培った開発力やエンジニアリング力などはあったが、機械製品自体は全くのゼロからのスタートであり苦労もした。材料やガソリンエンジン以外のパーツは全て自社設計・製造し、ギアやディスクブレーキなどで高い保守性を実現している。作るものは変わっても、同社の製品作りの基本思想にある“長く使える製品”のコンセプトは変えたくなかった。そのため開発期間は3年を要し、スケールスポーツの初代は2005年になってようやく完成した。
スケールスポーツのこだわりを貫くには、モノづくりだけでなく、ビジネスの継続性も重要であった。実際、同社にとって初めてとなるB to Cビジネスに戸惑う点も多かった。2000点にも上るパーツ販売をした経験はないし、カタログやパンフレットなども作ったことはなかった。しかし始めてみると、メンテナンス用のパーツが継続的に出荷されていくことは経営的に大きな意味を持つことがわかった。「パーツ事業でお客様との繋がりが確保できていることでビジネスチャンスが広がっている。繋がりがこれからのビジネスの芯になるのではないでしょうか」と古澤氏は語る。
近隣の企業に協力してもらい冠レースやイベントを開くことで、様々なビジネスの形も見えてきた。時間貸し駐車場管理の企業とコラボレーションして、駐車場ビルの屋上を利用してレースイベントを開催した時には、予想以上に人が集まって大盛況であった。イベントではケータリングなども呼んで、レースの雰囲気に浸れる楽しい時間を共有できるようにしている。スケールスポーツの世界で“こだわった”事業を展開し情報発信したことで、それまでには想像できなかった人脈を得られたことは大きかった。他の事業の仕事に結び付いたケースもあり、趣味を通じた、身分や肩書きといったしがらみを越えた人の繋がりの堅固さを実感した。

● 夢はハワイでのサーキット開設と世界選手権開催


スケールスポーツには電子機器開発で培った遠隔操作技術や品質管理のノウハウが集結されている。その集結された技術力が評価され、2009年度の川崎ものづくりブランドにも選ばれた。
今後の事業展開としては、スケールスポーツに代表される遠隔操作機器とセキュリティ機器を融合・発展させることを見据えている。現在のところ壁掛け式であるセキュリティ機器をリモート操作したり、持ち運び可能にしたりすることで応用可能性が広がると古澤氏は考えている。今後は、2つの事業の相乗効果を意識して開発を進めることを視野に入れている。 現在、アジアなど海外でのスケールスポーツのサーキット計画が進んでいる。古澤氏の究極の夢は、ハワイに自社のサーキットを開設し、世界選手権を開催することである。趣味と仕事の究極の両立を目指す古澤氏の挑戦は今後も尽きることはない。

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