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会社名共進精機 株式会社


押出機・射出成形機用の単軸・二軸のスクリュー及びシリンダーを製造する企業



社長 木村 勲 氏
事業内容事業内容
プラスチック及びゴムの射出成形機及び押出機のスクリュー・シリンダーの製作、その他金属機械加工

  • 企業名 共進精機 株式会社
  • 創 業 1968年(昭和43年)2月
  • 所在地 〒212−0032 川崎市幸区新川崎2−10
  • 電 話  044‐589−0081 
  • 代 表  木村 勲氏(キムラ イサオ)
  • URL   http://www.kyoshin-ksk.co.jp/
 
  「昭和37年にプラスチック・ゴム押出機メーカーに転職した時に、押出機の心臓部品である金属スクリューを初めて見た。そのメーカーではスクリューを外注しており、直径40ミリのスクリュー 1本で当時の給料の2か月分であることを知った。そこで、社内で作ることを提案すると“じゃあお前やってみろ”と言われ、社内でスクリュー製造部門を立ち上げた。ピストンで樹脂を押し出すフランジャー式が主流の時代であったが、スクリュー式の時代が来ると直感が働き、将来、これを自分で事業化しようと考えた」と木村社長はスクリューとの運命的な出会いを語る。
 当社の製造するスクリューやシリンダーは、プラスチック・ゴム押出機やプラスチック射出成形機など産業機械の心臓部品であり、業界では優れた性能と安定した品質で高い評価を得ている。

● スクリューとシリンダーの製造会社を設立、一番優秀だった社員と共に 


  「15歳の時に見たある映画をきっかけに、将来、自分は社長になると決めた。友人には自分の将来像として“俺は20代で社長になる”と公言していた。公言するとやらなければならなくなる」と木村社長は語る。小学校の頃に父親を亡くして苦労したこともあり、貧乏は絶対嫌だったと言う。社長になるには勉強しなければならないと普通高校の夜間部に通った。当時は、中学1クラス50名のうち高校進学者は10人、大学進学者は5人程度の時代だ。昼間は町工場で働き、旋盤加工を始め様々な金属加工の技能を身に付けた。
 「働いていた町工場では、1ヶ月に1回しか休みが無かったが、全く苦にならなかった。  昭和33年、高校を卒業して一般機械加工メーカーに就職するために、福井県から川崎市に出てきた。毎週日曜日が休めることに驚いて母親に手紙を書いたくらいだ」と木村社長は笑う。
 4年後に、プラスチック・ゴム押出機メーカーに転職した際に、当社の主要製品であるスクリューに出会う。社内でスクリュー製造部門を立ち上げた木村社長は、新入社員だった元専務とも出会う。元専務は木村社長より9歳若く、新入社員の中で一番優秀だった。木村社長は独自に確立したスクリューの加工技術を元専務に一生懸命教えた。その理由は、元専務には将来独立するから一緒にやろうと声を掛けていたからだ。スクリュー・シリンダーについて深く勉強したいと考えた木村社長は、昭和41年にプラスチック射出成形メーカーに転職した。
 昭和43年、木村社長が28歳の時に、資本金65万円でスクリュー・シリンダーを製造する当社を設立した。
 「元専務は、昨年3月18日に亡くなったが、長い間、自分の右腕として本当によく働いてくれた」と木村社長は哀悼の意を表する。
     

● 研磨技術と熱処理技術を徹底的に追及し、曲げが発生しない加工方法を確立する 


  「会社設立後2年で従業員が5人、10年で15人と順調に増えていった。高度成長期と重なり、仕事は裁き切れないほどあった。機械を回すことでお金が得られるので、寝る時間がもったいなかった。どうしたら寝ないで済むか真剣に考えた」と木村社長は語る。当社の生産能力月産1,500本に対して、現在の実稼働は月産500〜600本だが、その当時は2ケタ多かった。
   高校時代から仕事で苦労した記憶はなく、常に目標に向かって突き進んできた木村社長だが、設備借入のための資金調達では苦労した。
   NCネジ研削盤や大型円筒研削盤など自分の気に入った機械を入れた時は何にも代え難い満足感を感じたと言う。お客様の要望に応えるために、機械を選定し、加工方法を研究する。その後、自社で機械の改良及び附帯装置を取り付け、生産能力を2〜3倍に引き上げる。この工夫が当社独自のノウハウだ。当社のスクリュー・シリンダー加工技術は他社の加工技術とは全く異なる。その独自技術とは、研磨技術と素材の熱処理だ。研磨技術では1,000分の1mm単位の精度を実現し、素材の熱処理技術では温度設定と処理方法を徹底的に追及し、曲げが発生しない加工方法を独自に確立した。当社のスクリューは精度が高く、品質が高いと口コミで広がった。何度か来た不況の後に、水面下から顔を出すと同業社の数が減っていたと言う。
 コスト削減にも取り組み、価格面で中国と同じ土俵で勝負することを目指している。中国も技術力は上がってきているので、高品質を維持したままコストを下げる必要がある。平成18年にISO9001、平成23年にはISO14001を取得した。昨年5月に、川崎市への移転により、3カ所に分散していた本社や工場を1カ所に集約できたので、生産の効率化に成功した。
 

● もう一度、日本のモノづくり企業のレベルの高さを世界に知らしめたい 


 「あと10年は頑張るつもりだ。創業者が44年も元気でやっている企業は少ない。外注先の仲間の経営者は既にリタイヤしている。ある意味羨ましいが、社内全体が高齢化しているので、若返りを図り、技術者を育成することに今後は注力する」と木村社長は、当社の独自技術を次世代へ継承するために頑張っている。
 昨年の12月から今年の1月にかけて若手従業員6人を採用した。高度な技能を持つベテラン職人の高齢化が進み、若い頃では考えらえなかったミスが増えてきたと木村社長は気付いたからだ。現在は、ベテランの職人に若手従業員が1人つくので1台の機械に2人ついている。効率化を図る世間の流れと逆行しているように見えるが、技能承継は将来に向けた投資であり、現在、生みの苦しみを味わっている。採用は、インターネット広告と雑誌広告で求人を募ったところ60人の応募者があり、20〜30代の積極的な人を採用できた。
 「日本のモノづくり企業が世界の先頭にいた頃のように、もう一度、日本のモノづくりのレベルの高さを世界に知らしめたい。そのためには、常に技術を革新して新たな製品に挑戦していかなければならない」と木村社長は、日本のモノづくり企業が革新してきた高度な技術を無くしてはならないと強調する。当社は、スクリューの直径8〜600mm、長さは1本物で10m、つなぎ物で15mまで対応でき、納期は1〜3ケ月で対応する。
 将来は、若手従業員が複数の機械を同時に稼働できる多能工を育成する計画だ。成功した理由を聞くと「うちはまだ成功していない。道半ばだ」と木村社長は謙遜する。
 「当初は、神奈川県内でも土地が広くて安い場所を探していたが、誘致が熱心だった川崎市に移転することを決意した。川崎市の中小企業に対する取り組みが他の市区町村とは全然違うことを改めて実感した。今後も中小企業をサポートして欲しい」と川崎市の取組みに木村社長は期待している。
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