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会社名株式会社 川崎精機工作所


日本のモノづくり基盤を支えてきた 研削加工のリーディングカンパニー




代表取締役 上田 親男
事業内容
機械及び測定工具の製造、各種機械 器具部品の研削加工

  • 企業名  株式会社 川崎精機工作所
  • 創業    1953年(昭和28年)9月
  • 所在地  川崎市中原区木月4丁目54番10号
  • 電話    044‐422‐4195
  • 従業員  34名
  • 代表    上田 親男(ウエダ チカオ)
  • URL   http://www.kawasakiseiki.com/index.html

 研削加工のリーディングカンパニーとして日本の製造業を支えしてきた株式会社川崎精機工作所。「誤差1,000分の1ミリ以下」の精度保証を実現し、工作機械、半導体製造装置、航空宇宙分野など幅広いユーザーから評価を受けてきた。近年は、海外からの受注も増えており、顧客の幅はいっそう広がりつつある。「創業以来の技術を核に、さらに高度なモノづくりを探求していきたい」と、三代目の上田社長は蓄積してきた技とノウハウを活かした事業展開に意欲を見せている。

● 最新鋭の設備と熟練技術者の技を融合させ、お客様の希望に応えてきた


 研削加工とは、高速回転する砥石を使って切削加工(一次加工)を施した素材の表面を削り出す加工である。平面度などの幾何公差や寸法精度などで高度な加工精度を求められる分野では欠かせない工法である。例えば、工作機械のスピンドル(主軸)は正確に作動することが求められる部品であり、内面の面粗さや真直度、真円度はミクロン単位の精度が必要となる。それを実現するには技能者の勘と技に頼る部分が大きく、旋盤やマシンニングセンター(MC)に比べて、数値制御(NC)化が難しい分野でもある。
 川崎精機工作所は研削加工の専門企業として創業し、京浜地区を中心に日本のモノづくりの高度化に大きく貢献してきた。工作機械のスピンドル、半導体製造に使われる露光装置の部品など高度な精度が要求される分野を中心に造船航空機、液晶、光ディスク、金型、太陽電池、食品業界など幅広い顧客を獲得してきた。「工作機械や半導体製造装置といった機械に求められるのは同じ動作を正確に繰り返すこと。そのために研削技術は発展し、いまも進化し続けている」と上田社長は研削技術の重要性を強調する。
 同社の特徴は、最新鋭の設備と熟練技術者の技を融合して顧客のシビアな要求に応えてきた点にある。円筒研削盤、ロール研削盤、平面研削盤などの各種加工機械に加えて、カールツァイス製3次元測定器を導入するなど最新鋭の設備を導入。2006年には品質マネジメントシステムISO9001を取得し、大手メーカーの顧客からの信頼も厚い。「当社がターゲットとしているのは高い精度が要求される分野。特に3ミクロン以下の精度を出すのは中国、アジア勢では難しく、最近は現地のメーカーからも依頼があるくらい。高精度の領域に特化し、この分野であればいろいろな仕事を受け入れていきたい」と戦略的な販路拡大を推進中だ。

● 研削加工技術の先駆者である父と、名経営者の母のDNAが引き継がれている 


 同社が発足したのは1953年。上田社長の両親である倉三郎氏とトヨ氏が当時、川崎市内に本社のあった東京機械製作所に勤めており、倉三郎氏の研削加工技術を活かして独立を決意。社長にトヨ氏が、専務に倉三郎氏が就任し、川崎市中原区で家具の製造販売をしていたトヨ氏の実家に場所を借りてスタートした。
 神奈川県はもとより、関東周辺に高精度な研削を手掛けられる会社はなく、1959年には現在の本社工場がある土地を購入、本格的に事業拡大へと乗り出していった。ちょうど家電、自動車など日本が大量生産へと歩み始めた矢先。工作機械をはじめ各種製造機械の需要は一気に拡大し、研削加工の需要は飛躍的に伸びていった。
 とはいえ、創業数年で工場用地を取得し、積極投資に出たことは「母の経営者としての感覚とバイタリティーに追うことが多い」という。その一例として挙げるのが東京機械製作所から新聞輪転機のロール研削を受注するために当時の金額で1台1億円する西ドイツ製のロール研削盤を導入したことだ。「米国、ドイツが最先端だった時代で、日本製なら1台5,000万円で購入できたが、精度を追求するため高額な投資に踏み切り、結果的に顧客からの評価につながった」と上田社長は振り返る。1971年に1号機を入れた後、工場の拡張・増設を進めながら翌年には2号機を追加して受注拡大に取り組んでいった。
 また、研削加工に加えて、旋盤やMCによる切削加工にも進出。業容を広げることで1次から2次加工まで一貫して手掛けることを可能にし、顧客からの安定的な受注を確保できる体制へと移行した。トヨ氏は製造業においては女性経営者の先駆であり、1984年には黄綬褒章を受章、1986年に日刊工業新聞社の婦人経営者賞を受賞するなど、業界の内外でも名経営者として知られる存在であった。
一方、専務として技術面を支えてきた倉三郎氏は研削技術を日本の自動車量産化を指導した米国人技術者、ウイリアム・ゴーハム氏(元日産自動車専務)から学び、研削加工を日本に広めてきた草分けである。川崎精機工作所を設立後は本業のかたわら職業訓練大学校の教壇に立って後進の育成に携わり、1978年には卓越技能者(現代の名工)に研削加工で初めて表彰を受けるなど日本の研削加工技術をリードし続けてきた。
 上田社長は「私が入社した翌年(1981年)に亡くなったので父から直接教わる期間は短かったが、蓄積された技術が当社の基盤になっていることには変わりはない。特に技術に対する父の探求心はDNAとなって引き継がれている」と、父と母の創業の精神が今も経営に息づいていることを示す。

● 人材の育成と積極的な設備投資により、新たなステージへの飛躍を目指す


 現在、こうした企業風土を存続させるために力を入れているのが技能者の育成だ。
 石川勇一取締役工場長をはじめ30~40代には技術・技能継承が進んでいるが、今後は10~20代の若手を育成することが当面の課題である。
 「研削加工は最低でも3年かけないと技術が身に付かない。最近は失敗を恐れる若い子が多く、残念ながら精神的に耐えられずに辞めていくこともある」という。砥石の摩耗の様子を目と耳で識別するなど職人のノウハウは現場で身に着けるしかなく、特に砥石を工作物に接触させる切り込みなど難しい手作業は失敗を気にしていては習得できない技術である。「失敗を恐れない精神力を持ち、仕事の達成感を喜びにできる。そうした若手を育てていく」ことが当面の仕事であり、次世代へとつなぐカギとなっている。
 上田社長は今後の事業展開について、「規模の追求よりも中身。前社長(尚孝会長=実兄)が固定費を切り詰めて高収益の事業構造に変革してきた路線を踏襲しながらさらに付加価値の高い仕事に集中したい。お客様に納得してもらえる質の高い仕事をできるように技術を探求していくことが重要だと考えている」と方向性を示す。
 このため、設備面では2017年に完全空調室を設置した他、センターホールグラインダーを新たに導入。2018年は新規の平面研削盤、円筒研削盤のオーバーホールなど数千万円の投資を計画。最新鋭の設備による基盤整備にも力を入れる考えだ。この他にも生産管理システムの見直しにも着手しており「効率化を図ることで社員の負担を減らし、より高度な仕事に取り掛かれる環境を整えて行きたい」と、新たなステージへの飛躍を目指した取組みを加速している。

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